Y先生

Y先生

※3.11の内容が含まれているので、苦手な方は閲覧しない事をおすすめする。
  
  
私の学年に、ご出身が宮城県気仙沼市のY先生という女性教師がいらっしゃった。Y先生は私たちが入学した年に赴任してきた。とても厳しい先生でいつも怒っていたので(まぁ半分は私たちが悪い事をするからなのだろうけど)、生徒の殆どは嫌っていた。実際私も苦手だった。怒る時は教室が揺れんばかりの大きな声で怒る。それが怖くて堪らなかった。授業中当てられても、先生の気に入らない発言をしようものなら怒られるのではないかと思うと本当に苦痛だった。自習中、後ろの方でテストの採点をしながら深い溜息を吐かれた時は、思わず背筋がゾクリとしたほどである。先生が休まれたり、出張で居なかったりした時は、厄介者が居ないと皆が喜んでいた、そんな記憶が残っている。私の担任になった事はないが、先生のクラスにぶち込まれた暁には、もしかしたら精神的に耐えられなかったかもしれない。それくらい、印象は最悪だった。自ら悪印象を与えているのではないか、そう周りに思わせるほどに。 

  
だが、忘れもしない3月11日。日本が揺れ、各地が甚大な被害を受けた。勿論宮城県も例外ではない。揺れと津波で多くの犠牲者が出た、前代未聞の災害だった。
震災の日が金曜日で、土日を挟んで確か月曜日辺りに学年集会が開かれたのだが、そこで当時の学年主任の先生が涙ながらにこう仰った。

「Y先生のお母さんが津波に流されて、まだ見つかっていないんです…」

他の先生方は、涙ぐんでいたり、俯いていたり…ホール全体がシンと静まり返った。あの空気は今でも忘れられない。この時、Y先生はさっさと教室に引っ込み、その場には居なかった。泣き顔を見られなくなったのかもしれない。一番辛いのは本人の筈だ。だからなのか、敢えてなのか、先生は自分の口から、私達に何かを語る事はなかった。「一緒に泣いてください」とも言わなかった。

学年主任の先生は「Y先生のお母さんに向けて、拍手を送りましょう」と呼びかけ、その場に居た全員で大きな拍手をした。私は涙を堪えながら、先生のお母さんに対して精一杯の拍手を送った。
だが、Y先生のお母さんは、残念ながら見つからなかった。

卒業文集の中に、Y先生は震災の事を綴っていた。あの日、一緒に中学校を卒業した友人、高校時代ボランティア活動をし同じ道に進んだ先輩、同期の採用で一緒に研修に励んだ教師…沢山のお仲間を亡くされたそうだ。私はこの時、初めてY先生の事を「可哀想」だと思った。あれだけ印象の悪かったY先生に対して、そんな感情を抱いたのである。先生の事をずっと嫌な人だと思っていたけれど、実際は全然そんな事なかったんじゃないの?と。
結局Y先生は私たちが卒業した年に離任されたので、皆「ズルい!」と文句を言っていたが、私はY先生に対するイメージが少しだけ変わったのを感じていた。今思えば、気がつかなかっただけで、そこまで悪い先生ではなかったのかもしれない。

早いもので、あれから10年以上の歳月が流れた。Y先生、今どうされているかな。お元気だといいけどな…

Asmo