Vol.3 風鈴

Vol.3 風鈴

皆様、おはこんばんちは、ブログ担当のブル-スカイです。もう覚えて頂けましたでしょうか?先日のブログでも秋田県も梅雨入りしたと書かせて頂いたと思います。

そうです、夏はそこ迄来てますね。今年も暑いのかなあ、なんて考えていたら、今年は風鈴を飾って涼を取ろうと思いまして、近所の某100円ショップへ、個人的に欲しい柄の商品が無かったので、他で後日探す事にしました。

風鈴について少し調べたところこんな事が分かりました。

金属・ガラスなどで手のひらに収まるくらいの大きさのお椀型をした外身を作り、それを逆さにして開口部を下向きに吊り下げられるように外側に紐をつける。内側には「舌(ぜつ)」と呼ばれる小さな部品を紐で吊り下げ、その紐の先には短冊を付けて風をよく受けるようにしてある。短冊が風を受けて舌(ぜつ)を揺らし、舌が外身に当たって音を鳴らす。

一般的な風鈴とは構造が異なるが、ぶら下げた火箸(鋼の棒)を利用した火箸風鈴や、ぶら下げた備長炭を利用した風鈴もある。音は外身と舌の材質などに左右されるが、日本では一般に涼しげな音と表現されてきた音である。秋を知らせるスズムシなどの虫の声とも似ている。冷房のなかった時代に日本のむしむしとした湿気の多い暑い夏をやり過ごすため、日本人は風鈴の音を聞くことに涼しの風情を感じてきた。

ガラス製の風鈴には絵付けされているものが多く、花火、トンボ、朝顔、金魚などの図案が定番になっているが、元々は魔除けのためのものであったため赤色に塗られていた。

風鈴の起源は約2000年前の中国で竹林に吊り下げて風の向きや音の鳴り方によって吉凶を占った「占風鐸」であるといわれている。これを僧侶が日本に持ち帰ったものが青銅製の「風鐸」で寺の仏堂の四隅や仏塔に吊るすようになり、ガランガランという鈍い音には厄除けの効果があって、この音が聞こえる範囲は災いが起こらないといわれた。平安時代から鎌倉時代にかけ貴族の屋敷でも軒先に魔除けとして風鐸を吊るしたことがあったといわれており、風鈴には呪術的な意味もあったほか権力の象徴でもあった。また、奈良県明日香村にある飛鳥寺では8世紀初頭のものとみられる風鐸の破片が発見されている。この「風鐸」は大きなものだったが徐々に小型化していった。

「風鈴」の名は一説には法然が「ふうれい」と名付けたことに由来する。「風鈴」という表記は鎌倉末期に作られたとされる国宝『法然上人行状絵図』に「極楽の七重宝樹(しちじゅうほうじゅ)の風のひびきをこひ、八功徳池(はっくどくち)のなみのをとをおもひて、風鈴を愛して」とある。これが後に「ふうりん」と読まれるようになった。

江戸時代に書かれた『嬉遊笑覧』(1830年)によると、法然の弟子が風鈴を好んで持ち歩いたといい、鎌倉時代には風鐸が小振りの風鈴として普及していたとしている。風鈴の素材はもとは鉄や銅など金属製のものだった。ガラス製の風鈴が現れるのは江戸中期以降のことである。無色透明ガラスの製法が18世紀にオランダ経由で日本に伝わると、19世紀には江戸でガラス細工が盛んになり、江戸時代末期にはビイドロ製の吹きガラスで作られた風鈴が江戸で流行を見せた。明治時代には町で風鈴を売り歩く「風鈴売り」もみられた。大正期には岩手県の名産である南部鉄器の産地で鉄製の風鈴が作られるようになった。

だそうです。(『Wikipedia』より引用)

VOL03はこの辺で、次号04でお会いしましょう。see ya !