父の教え

父の教え

「米は大切にしなさい」―――という教育を、大体の人は子供の頃に受けたのではないだろうか。茶碗に米を沢山つけたまま片づけようとして、親に「勿体ない!」と怒られた事がある方も少なくはない筈だ。

私も子供の頃は米の大切さを知らず粗末に扱っていた。米がカピカピに乾いて箸で摘まんでも取れなくて仕方なく残すとか、そんな理由ではなかった。いや、別に理由なんてなかったのかもしれない。何となく残していたのだと思う。

そもそも私には、米に限らず色んな食事を食い散らかす悪い癖があった。いつから始まったのか、元からそうだったのかは知らないが、魚でも何でも汚く食べていた。米も茶碗にいっぱいつけたまま食事を終えていた。今思えば、その食器を洗う母も、頑張って働いて飯を食わせてやっている父も心底嫌だった事だろう。

だが、気がついたら私は米を残さず食べるようになっていた。米を食い散らかしていた過去と綺麗に食べるようになった今。その間の記憶だけが何故かごっそりないのである。

「お父さんに『米は大切にしなさい』って教育を受けて、そこから綺麗に食べるようになったんだよ」
少し経って、当然の如く綺麗に食事をするようになってから、母に聞かされた言葉。それを知った時の衝撃は凄まじかった。

父は米を大切にしない私に言ったそうだ。「米はお百姓さんが手間をかけて作っているんだよ」と。怒るというより、言い聞かせる形で。

申し訳ないが全然覚えていない。嫌な記憶だから忘れてしまったという事は絶対にないだろうが。「え?そんな事言ったの?」という感覚だった。

多分前々から食べ方についてやんわり教育はされていたのだと思うが、直らなかったのかもしれない。障害故か、面倒臭がりな性格故かは分からないが、心身共に子供だった私には大して響かなかったのだろう。しかし、時に厳しさを見せる父の一言が、あの時の私にかなり効いたようだ。

今の私は、弁当でもレストランでも病院食でも、米を一粒も残さずに食べる。いつの間にか、それが癖になってしまったようだ。「もう取れないから頑張らなくていいよ」と言われても、箸で頑張って最後の一粒まで取る。米が「EAT ME!(食べて!)」と私に話しかけていると思って。たまに米粒をいっぱい残して食器を下げる人がおり、店の人が不快な思いをしている旨のコメントや写真がSNSに投稿されているが、その気持ちは今だったら本当によく理解出来る。私が食事を提供する立場だったら、そんな扱い方をされたら嫌だろうなと思う。

勿論米以外の食べ物もちゃんと綺麗に食べられるくらいに成長した。家族は「食べ方が綺麗」「昔は食い散らかしていたのに」といつも褒めてくれる。大人になると中々褒められなくなるので、小さな事でも、出来て当たり前の事でも、称賛を受けるとこそばゆいが嬉しい。
私にもし子供が出来たとしたら、きっと同じように教育するだろう。「米は一粒でもムダにしてはいけないよ」「色々な人の思いが込められているんだからね」と。

                                      Asmo

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